元航空自衛官だった話① by冴丸
※最初に断っておきますが、すべて個人的な回想&感想であり皆が皆記事の内容通りだという訳ではありません。
はじめに
自己紹介でも少しふれたように実は元航空自衛官。
たった1年半ほどしか在籍しなかったが、それまでになかった刺激的な経験をすることができてとても充実した時間をを過ごせたと思っている。
このシリーズでは、そんな自分が教育隊入隊から辞めるまでの間を通して楽しかったことや大変だったことなどを書いていこうと思う。
そのため、個人的な思い出が多いので全て鵜吞みにはしないでほしい。
そして記念すべき第1回目は教育隊に着隊した時のことを書こうと思う。
教育隊
自衛官としての基礎を叩き込むための地獄の14週間を過ごすことになる防府南基地へ行った。
航空自衛隊の教育隊には二つの基地があり、防府南基地ともう一つは熊谷基地だ。
自分は防府だったので熊谷は知らない。でも外出した時は熊谷の方が楽しいことは知っている。
防府まわりに何もない。まじで何もない。外出するときも制服着用だし、駅前のイオンに行っても何もない。びっくりするくらい何もない。
防府天満宮くらいしか記憶にない。
着隊~!
大阪から新幹線で徳山までいき、そこから乗り換えて防府へと行った。
3月末ということもあってかまだ若干寒かった記憶がある。
あとなんか微妙に天気が悪かったようなそうでもなかったような……
着隊した当日は荷下ろし、検温、身体測定がありとてもあわただしい日を過ごすことになる。
着隊したその日に自分が何区隊の何班なのか知らされ居室(1部屋5~6人程度で寝起きする部屋)まで通され、そこで荷物の整理をすることになる。
着隊した日の夜…
早速ベッドメイクを班長から教えられ、自衛隊の広報でよく見るあの薄茶色の毛布と白いシーツ、固い枕で寝ることになる。
この毛布がまたクセモノで、歴代使用者によるバームクーヘン(毛布の端を合わせてキッチリ丁寧にたたむこと)によって毛布横の端がビロビロに伸びていたりする。
このビロビロ毛布にあたると最悪で、バームクーヘンをきれいに作りにくく見栄えも汚くなってしまいがちなので台風の餌食になりやすい。
後に行く浜松基地での自分の毛布がまさにビロビロで台風の餌食になったのは言うまでもない。
初日の風呂は地獄
慌ただしい1日のためろくに時間の確保がされず、入浴時間はたったの5分だった。
それも100人近くがいっせいに入るためシャワーの数が足りず何人かで1つのシャワーを使ったり浴槽のお湯を桶で汲んで浴びたりとカオス極まりない入浴時間だった。
遠方からきて、基地内各所をたらい回しにされ、そうしてやっときた入浴時間はたったの5分。
えぐい。
特に自分は他人と風呂に入るのが苦痛だったもので、この先の余裕ある時間でさえ入浴時間は苦痛でしかなかった。
そして就寝
本来ならば22時消灯、6時起床が自衛官の生活サイクルの基盤なのだが着隊した初めの数日は体を慣らすために21時消灯6時起床だった。そこから日を追うごとに少しずつ消灯時間をずらしていき、3,4日後には22消灯6時起床の生活サイクルになる。
初日の夜は21時消灯で点呼も班長が居室にきて健康状態を確認し、電気を消すやり方だった。
こうしてようやく着隊初日は終わってゆく。
緊張と長距離移動の疲れからか、自分は熟睡できた。
そう……地獄の日々の幕開けとはつゆ知らず…………